2015年03月07日
私の定宿
酒田に通い始めてから様々な旅館やホテルに泊まったが、遠隔地から酒田に通う友人たちはそれぞれ気に入った定宿を持っており、或る者は最上屋に、或る者は地蔵の湯に、或る者はグリーンホテルに。
だいたい決まった宿に泊まる。
そしてここ数年の私の定宿が南新町の日和山ホテル。
ホテルだが和室と洋室があり、私はもっぱら和室に。
街中まで歩いて行ける距離でありつつ、街中の喧騒から離れてのんびり朝寝も出来る。
2014年09月20日
仕切りなおし
酒田方面の皆さんとの繋がりはFacebookに移行しているのですが、あちらはどうも流れて行ってしまうきらいがあり、自分がその時何をどう受け止め考えていたのかが残りにくいので、こちらに投稿してあちらで共有と言うやり方を試してみようと思います。
写真は相馬屋と香梅咲の間の小路(ケルンの井山さんは「逢引き小路」と言っていた)の奥、光國寺の先にあった仕立て屋のネコ。
写真は相馬屋と香梅咲の間の小路(ケルンの井山さんは「逢引き小路」と言っていた)の奥、光國寺の先にあった仕立て屋のネコ。
2011年12月31日
高屋通過
最上川を左に見ながらディーゼルカーに揺られている訳ですが、このあたりの景色を見たいので、新庄経由で酒田へ向かう事にしています。
何故だか、海より川が好きなのです。
出来ることなら船で下りたいくらいなのですが。
清川に着きました。
何故だか、海より川が好きなのです。
出来ることなら船で下りたいくらいなのですが。
清川に着きました。
2011年12月31日
酒田へ
今年も酒田で年越し(何年目だろう?)することになりました。
最初の年は港座でオールナイトでジャズ映画三本立ての手伝い。
二年目からは日和山の神明さんで夜の番。
しんしんと雪が降り積む年もあれば、吹雪あり遠雷ありの荒れた年もあります。
変わらないのはどう転んでも「寒い」と言うこと。
羽前前波通過。 あと何10分かで酒田。
最初の年は港座でオールナイトでジャズ映画三本立ての手伝い。
二年目からは日和山の神明さんで夜の番。
しんしんと雪が降り積む年もあれば、吹雪あり遠雷ありの荒れた年もあります。
変わらないのはどう転んでも「寒い」と言うこと。
羽前前波通過。 あと何10分かで酒田。
2011年01月13日
躍動する雲
東京から酒田へ向かう場合、幾つかルートがある訳ですが、時間が有るときに好んで使うのが、陸羽東線→陸羽西線。
小牛田あたりでは晴れていた空に雲が増え始め、鳴子温泉を過ぎる頃には雪がちらつき出し、最上川を右に、また左に見ながら雪景色の中を列車は走ります。
そして余目に近づく頃から、重く低く垂れ込めていた雲が動き始めます。
そしてこんな空になると、庄内に入った実感が湧いて来ます。 空の或るところは晴れていて、しかし曇っているところもあって、雪まで降っていたりする。
小牛田あたりでは晴れていた空に雲が増え始め、鳴子温泉を過ぎる頃には雪がちらつき出し、最上川を右に、また左に見ながら雪景色の中を列車は走ります。
そして余目に近づく頃から、重く低く垂れ込めていた雲が動き始めます。
そしてこんな空になると、庄内に入った実感が湧いて来ます。 空の或るところは晴れていて、しかし曇っているところもあって、雪まで降っていたりする。
2011年01月13日
裏路地の愉しみ
疲れて転寝をしていたら、変な時間に目が覚めてしまい、寝付けないので更新。
酒田に限らず、散歩をして楽しい街は、ひょいと曲がった裏路地に、わくわくする何かがある。
「これが良い」と言う人が居るから、観光名所として成立しているのだとは思うが、私には華美に弄り壊されてしまったように思える相馬屋。
香梅咲との間の路地をひょいと曲がり、光国寺の境内地まで入って振り返ると、表から見たときとはまるで違う光景が拡がる。
・・・なんて話をして写真を見せたら、ケルンの井山さんが
「あぁ、あの路地ですか。 昔は『逢引き小路』なんて呼ばれていました。 もっとも『小便小路』なんて呼ぶ口の悪い人もいましたが。」
と、教えてくれた。
酒田に限らず、散歩をして楽しい街は、ひょいと曲がった裏路地に、わくわくする何かがある。
「これが良い」と言う人が居るから、観光名所として成立しているのだとは思うが、私には華美に弄り壊されてしまったように思える相馬屋。
香梅咲との間の路地をひょいと曲がり、光国寺の境内地まで入って振り返ると、表から見たときとはまるで違う光景が拡がる。
・・・なんて話をして写真を見せたら、ケルンの井山さんが
「あぁ、あの路地ですか。 昔は『逢引き小路』なんて呼ばれていました。 もっとも『小便小路』なんて呼ぶ口の悪い人もいましたが。」
と、教えてくれた。
2011年01月13日
有難い。 でも、残念。
酒田で有難いのが、無料の観光用貸し自転車。
カメラ数台、レンズも複数本担いで撮り歩く私のような人間には、特に有難い。
けれど残念なのは、あまりメンテナンスがなされていないこと。
海風の強く吹く街なので仕方の無い事ではあるのだけれど、錆が目立つ。
外観はまだ良いとして、乗る機能については、もう少し気を使っていただけると、もっと有難い。
タイヤの溝がほぼ無くなっていたり、ブレーキが固着していたりすることもある。
定期的なメンテナンスさえしていれば、もう少し長持ちもするのではないだろうか。
カメラ数台、レンズも複数本担いで撮り歩く私のような人間には、特に有難い。
けれど残念なのは、あまりメンテナンスがなされていないこと。
海風の強く吹く街なので仕方の無い事ではあるのだけれど、錆が目立つ。
外観はまだ良いとして、乗る機能については、もう少し気を使っていただけると、もっと有難い。
タイヤの溝がほぼ無くなっていたり、ブレーキが固着していたりすることもある。
定期的なメンテナンスさえしていれば、もう少し長持ちもするのではないだろうか。
タグ :酒田
2011年01月09日
大晦日の「しばらく」
七時半過ぎにうかがうと、先客二た組。
しばしバイ貝の煮付けで一杯いただきながら繋ぐ。
爪楊枝でくるくると引っこ抜いては一杯、引っこ抜いては一杯。
お酒はいつもお任せで
「今日は良いやつ!」とか
「普通ので」とか
漠然と頼んでいるので、何を飲んだのか憶えていないが、何を飲んでもそれぞれに美味しい。
握りはハタハタを振り出しに白身オールスターキャスト。
久しぶりのショウフクジ、炙ったカマス、とろける鰆、キモで食べるウシヅラハギなど。
アマエビ、ガサエビ、ブリコの軍艦なども交えつつ。
久し振りの穴子で〆。
保存しておいても過度に柔らかくならない不思議な柿やら、手打ちの年越しそばやら。
いろいろといただいて、日和山の神明さんの夜の番へ。
ごちそうさまでした。
感謝感謝。
しばしバイ貝の煮付けで一杯いただきながら繋ぐ。
爪楊枝でくるくると引っこ抜いては一杯、引っこ抜いては一杯。
お酒はいつもお任せで
「今日は良いやつ!」とか
「普通ので」とか
漠然と頼んでいるので、何を飲んだのか憶えていないが、何を飲んでもそれぞれに美味しい。
握りはハタハタを振り出しに白身オールスターキャスト。
久しぶりのショウフクジ、炙ったカマス、とろける鰆、キモで食べるウシヅラハギなど。
アマエビ、ガサエビ、ブリコの軍艦なども交えつつ。
久し振りの穴子で〆。
保存しておいても過度に柔らかくならない不思議な柿やら、手打ちの年越しそばやら。
いろいろといただいて、日和山の神明さんの夜の番へ。
ごちそうさまでした。
感謝感謝。
2011年01月09日
モアレ
ジェラートのモアレさんが、以前は青山堂書店だった隣りのテナントに引っ越して半年余、漸く来る事が出来た。
調度品などは以前からのものが極力使われており、落ち着いた「あの感じ」のまま広くなっている。
青山堂は書棚に顔がある、何をどう売りたいかはっきりした好ましい書店だった。
本を売るだけではなく、酒田という街の文化の発信源でもあったと思う。
毎月のように酒田に通っていた頃は都内の書店より行く頻度が高かったくらいで、写真雑誌など、定期で買っていたものは大抵ここで買っていたし、佐高信の「石原莞爾 -その虚飾-」を買ったらサイン本で驚いたこともあった。
武田泰淳の「十三妹」の文庫本を見つけて小躍りして買ったのも懐かしい。
そこが空き店になって久しかったところに、隣りからモアレさんが移ると聞いて、驚きもし、納得もした。
これを(下書きを)書いているのもモアレさんなのであるけれども、その間もお客さんは引きも切らず、コーヒーを飲んでいくお爺さん、ジェラートを買って行く帰省したと思われる家族、デートと思しき若い二人、色々な人たちがやってくる。
業態は変わったけれど、人の集まる場所としての"地霊"のようなものが働いている。
そんな気がした。
調度品などは以前からのものが極力使われており、落ち着いた「あの感じ」のまま広くなっている。
青山堂は書棚に顔がある、何をどう売りたいかはっきりした好ましい書店だった。
本を売るだけではなく、酒田という街の文化の発信源でもあったと思う。
毎月のように酒田に通っていた頃は都内の書店より行く頻度が高かったくらいで、写真雑誌など、定期で買っていたものは大抵ここで買っていたし、佐高信の「石原莞爾 -その虚飾-」を買ったらサイン本で驚いたこともあった。
武田泰淳の「十三妹」の文庫本を見つけて小躍りして買ったのも懐かしい。
そこが空き店になって久しかったところに、隣りからモアレさんが移ると聞いて、驚きもし、納得もした。
これを(下書きを)書いているのもモアレさんなのであるけれども、その間もお客さんは引きも切らず、コーヒーを飲んでいくお爺さん、ジェラートを買って行く帰省したと思われる家族、デートと思しき若い二人、色々な人たちがやってくる。
業態は変わったけれど、人の集まる場所としての"地霊"のようなものが働いている。
そんな気がした。
2011年01月09日
西国三十三観音
ケルンの井山さんに教えられるまで、私も知らなかったのですが、日和山を左手に湊を望む岡の上の稲荷社の境内に、ひっそりと西国三十三観音の札所巡りを模した石仏群が佇んでいます。
神明さんの境内に金毘羅さまがあるように、今町に厳島神社があるように、北前船華やかなりし頃に齎された西国文化のよすがを感じさせる文化遺産であると私は考えるのですが、何故か観光案内には記述すらなく。
まぁ、観光地化されていないからこそ、海風に靡く防砂林の松籟に浸ることも出来る訳ですが。
酒田市内で鳥海山の全体を眺められる場所と言うのが意外に無いので、酒田に初めて来た友人案内する時には、とりあへず此処へ連れて来ます。
木立が葉を落とした冬場の晴れた日には、雪を冠った鳥海山がどーんと目の前に。
観光地図には載っていない隠れた名勝が、酒田にはまだまだ有ります。
参考:西国三十三所巡礼の旅
神明さんの境内に金毘羅さまがあるように、今町に厳島神社があるように、北前船華やかなりし頃に齎された西国文化のよすがを感じさせる文化遺産であると私は考えるのですが、何故か観光案内には記述すらなく。
まぁ、観光地化されていないからこそ、海風に靡く防砂林の松籟に浸ることも出来る訳ですが。
酒田市内で鳥海山の全体を眺められる場所と言うのが意外に無いので、酒田に初めて来た友人案内する時には、とりあへず此処へ連れて来ます。
木立が葉を落とした冬場の晴れた日には、雪を冠った鳥海山がどーんと目の前に。
観光地図には載っていない隠れた名勝が、酒田にはまだまだ有ります。
参考:西国三十三所巡礼の旅
2011年01月09日
帰京
帰ることを考えると気が滅入るので、ギリギリまで何も考えず、元日の夕方にバスの空席確認。
「せめて朝飯でも食ってから」と考えていたのだけれど、そうは問屋が卸さず、朝一番のバスに一つだけ有った空席をなんとか押さえる。
後は昼過ぎまで満員御礼。
庄交バスターミナルから乗ったのは、私を含めて二人だけ。
ジャスコ南酒田からもパラパラ。
鶴岡からゴッソリ。
発車間際にはらはらと降り出した雪は、大通り商店街を抜ける頃には本降りとなり、どうなるかと思いましたが、なんとか定刻には仙台に到着。
その日の夕方には家に辿り着けました。
感謝、感謝。
2011年01月03日
2011年01月03日
サヨナラサカタ
昨日の夕方に庄内交通に電話をしたら、仙台行きバスは軒並み満席。
昼過ぎの便なら空きがあるとのこと。
それまでの便で空きがないか訊くと…
「朝一番、六時の便なら一つだけ席がございます。」
「それでお願いします!」
そんな訳で、現在バスの中。
写真は撮り貯めたので、帰宅したら地道に更新します。
昼過ぎの便なら空きがあるとのこと。
それまでの便で空きがないか訊くと…
「朝一番、六時の便なら一つだけ席がございます。」
「それでお願いします!」
そんな訳で、現在バスの中。
写真は撮り貯めたので、帰宅したら地道に更新します。
2010年12月31日
2010年12月31日
2010年12月31日
もうすぐ一年ぶりの酒田
陸羽西線は、ほぼ定刻通りの運行。 ゆるゆると酒田へ向かっています。
窓の外は静かに白く、エンジンのうなりと、車輪のひびきが、耳に心地良く。
あれもしたい、これもしたい。
でも、それをしない事が、私の酒田での過ごし方なので、ほどほどにあれこれする予定です。
窓の外は静かに白く、エンジンのうなりと、車輪のひびきが、耳に心地良く。
あれもしたい、これもしたい。
でも、それをしない事が、私の酒田での過ごし方なので、ほどほどにあれこれする予定です。
2010年12月25日
酒田で年越し
今年も酒田で年を越せる事になりました。
仕事を替わったり、父を送ったり、あくせく過ごしているうちに年の瀬を迎え、気が付くと酒田へいけないまま早一年。
来年はもうすこと心にゆとりの持てる年にしたいと思っております。
仕事を替わったり、父を送ったり、あくせく過ごしているうちに年の瀬を迎え、気が付くと酒田へいけないまま早一年。
来年はもうすこと心にゆとりの持てる年にしたいと思っております。